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歴史・年表

徳島大学産科婦人科学教室の歴史

徳島大学産科婦人科学教室は、太平洋戦争真最中の昭和18(1943)年に徳島県立徳島医学専門学校が設置され、産科婦人科学教室がそのひとつの講座として開講したことに始まります。略歴を参照しながら、当教室の歴史を振り返りたいと思います。

昭和18年2月に、県立徳島医学専門学校が設立され、4月に講師として故橋本義徳先生がご着任になり、実質上、産科婦人科教室が開講しました。

その翌年の昭和19年4月に、初代教授である天満和人教授(昭和19年4月〜昭和21年3月)が大阪大学からご就任され、昭和20年に官立に移管され終戦を迎えました。

戦後の混乱の時期はキャンパスが徳島市内を転々としていましたが、昭和22年9月に現在の蔵本の陸軍練兵場跡に移転し、昭和23年2月に徳島医科大学に昇格、ほぼ現在の原型が整いました。

この間、産婦人科教室には天満教授に引き続いて、第2代寺沢仲利教授(昭和21年9月〜昭和22年4月)、第3代広瀬一郎教授(昭和22年10月〜昭和24年5月)が、それぞれ短期間ですが就任されています。

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医専時代

昭和19年 4月 天満和人先生、県立徳島医学専門学校教授発令
昭和20年 4月 県立徳島医学専門学校が徳島医学専門学校(国立)に移管す
昭和21年 3月 天満和人教授、徳島医学専門学校教授を退官す
9月 寺沢仲利先生、徳島医学専門学校教授発令
昭和22年 8月 広瀬一郎先生、徳島医学専門学校教授発令
昭和23年 2月 徳島医科大学となる
昭和24年 5月 広瀬一郎教授、徳島医学専門学校教授退官す
徳島大学医学部となる

昭和24年5月に正式に国立徳島大学医学部が発足し、第4代飯田無二教授(昭和24年8月〜昭和39年3月)が大阪大学から就任され、近代的な国立大学医学部の教室として発展する礎を築かれました。

飯田無二教授は昭和35年に第12回日本産科婦人科学会総会を徳島市で開催されるなど、研究にも力を入れられました。

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飯田教授時代

昭和24年 8月 飯田無二先生、徳島大学教授発令
昭和26年 4月 飯田無二教授、第3回日本産科婦人科学会にて宿題報告
「トロホブラストホルモンに関する臨床的研究」を発表
昭和27年 2月 飯田無二教授、徳島大学医学部附属病院長兼職となる
4月 飯田無二教授、日本産科婦人科学会理事に就任す
昭和32年 4月 飯田無二教授、徳島大学医学部附属病院助産婦学校校長を兼任す
昭和33年 8月 日本不妊学会中国四国支部を設置し、第1回総会を開催す
昭和34年 4月 飯田無二教授、日本産科婦人科学会会長となる
昭和35年 4月 第12回日本産科婦人科学会総会を主催す
昭和39年 3月 飯田無二教授、名誉教授に

第5代の足立春雄教授(昭和39年7月〜昭和53年3月)時代には、現在の四国の産婦人科医療を支えている多くの人材が輩出し、またこの時代にほぼ現在の産婦人科医療供給体制が整備されています。

また、足立教授は長らく医学部長、附属病院長を歴任され、様々な面で医学部の発展に尽力されました。

この間、昭和42年に現在の外来棟・研究棟が完成し、昭和51年4月には分娩部が正式に発足して、徳島における産科医療の充実が図られています。

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足立教授時代

昭和39年 7月 足立春雄先生、徳島大学教授発令
9月 足立春雄教授、日本産科婦人科学会理事に就任す
昭和40年 8月 第5回日本不妊学会中国四国支部集談会主催
10月 日本産科婦人科学会近畿中国四国連合地方部会
昭和42年 7月 徳島母性衛生学会設立総会
昭和43年 2月 四国母性衛生学会発会式
3月 足立春雄教授、徳島大学附属病院長に就任す
6月 第1回日本産科婦人科学会四国連合地方部会主催
昭和44年 7月 医学部基礎研究棟が、封鎖される(学園紛争にて)
昭和45年 2月 足立春雄教授、徳島大学附属病院長再選される
11月 第10回不妊学会中国四国支部総会主催
昭和47年 2月 第5回四国母性衛生学会開催
3月 助産婦学校開校15周年記念式典を開催
4月 足立春雄教授、徳島大学医学部長に就任す
6月 第5回日本産科婦人科学会四国連合地方部会主催
9月 院内設置として、「分娩部」が設置され、足立春雄教授が部長を兼任す
10月 第17回日本不妊学会総会主催
昭和48年 4月 磯島晋三助教授、徳島大学助教授を退職、兵庫医科大学教授に就任す
10月 第14回日本母性衛生学会総会主催
11月 第6回日本産科婦人科学会四国連合地方部会主催
昭和49年 4月 足立春雄教授、徳島大学医学部長に再選される
10月 第22回日本内分泌学会西部部会総会主催
第27回日本産科婦人科学会中国四国合同地方部会主催
11月 徳島大学医学部産科婦人科学教室開講30周年記念および足立春雄教授就任10周年記念集会開催
昭和51年 2月 第9回四国母性衛生学会開催
昭和52年 9月 足立春雄教授、香川医科大学創設準備室長に任命される
12月 足立春雄教授、転任記念祝賀会開催
昭和53年 3月 「臨床婦人生化学」を理工学社より発刊
足立春雄教授、最終講義「産科婦人科の現在と将来」

第6代森崇英教授(昭和56年4月〜昭和59年6月)は、日本でも早期に体外受精胚移植を成功させ、また日本で初めて倫理委員会を作るなど、研究面でその後当科が旧帝大と肩を並べるまでに発展する種を撒かれ、教室内の研究基盤の改革を進められました。

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森教授時代

昭和56年 4月 森崇英先生、徳島大学教授発令
森崇英教授、就任祝賀会
昭和57年 4月 体外受精倫理委員会判定(条件付き承認)出る
6月 第14回日本産科婦人科学会四国連合地方部会主催
昭和58年 8月 体外受精初めて妊娠に成功す
第2回WHO生殖免疫ワークショップ主催
9月  森崇英教授、京都大学教授を併任す
10月 第36回日本産科婦人科学会中国四国地方部会総会主催
昭和59年 3月 森崇英教授、送別会
森崇英教授、最終講義 多嚢胞卵単症候群
5月 体外受精児初めて誕生す
香山浩二先生、第36回日本産科婦人科学会総会にてシンポジウム
「卵の側から見た受精と着床をめぐる諸問題」発表
6月 森崇英教授徳島大学教授併任終了す

第7代青野敏博教授(昭和62年2月〜平成13年3月)は、多くの若い研究者を育てられ、研究面でも大きな業績を上げられました。

青野時代には平成11年4月には周産母子センターが正式に発足しております。

青野教授は平成12年に第52回日本産科婦人科学会総会を徳島市で開催されるなど研究面でも大きな業績を上げられましたが、平成10年から徳島大学病院長を務められ、さらに平成14年から7年にわたり徳島大学長を務めるなど、大学の管理運営にも尽力されました。

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青野教授時代

昭和62年 2月 青野敏博先生、徳島大学教授発令
青野敏博教授就任祝賀会
10月 第一回関連病院臨床検討会開催
11月 第1回徳島婦人科腫瘍研究会開催
第1回徳島不妊研究会開催
昭和63年 2月 第21回四国母性衛生学会開催
9月 「産科婦人科疾患とその治療」を医薬ジャーナル社より発刊
11月 青野敏博教授、日本不妊学会理事および中国四国支部長に就任す
平成元年 7月 第22回日本産科婦人科学会四国連合地方部会主催
徳島産科婦人科医報第22号発行(日産婦日母合同発行開始)
第27回日本不妊学会中国四国支部総会主催
8月 「Clinical Nursing Guide 」をメディカ出版より発刊
平成3年 3月 第1回徳島漢方研究会
徳島大学医学部附属助産婦学校閉校式
9月 「産婦人科ベッドサイドマニュアル」を医学書院より発刊
平成4年 1月 青野敏博教授就任5周年祝賀会
7月 第10回日本受精着床学会主催
「最新不妊症診療マニュアル」を医薬ジャーナル社より発刊
平成5年 6月 青野敏博教授日本内分泌学会理事に就任す
7月 香山浩二先生、兵庫医科大学教授に就任す
12月 「婦人科におけるホルモン療法の実際」を永井書店より発刊
平成6年 1月 産科婦人科教室開講50周年記念式典ならびに祝賀会開催
4月 「臨床医のための女性ホルモン補充療法マニュアル」発刊
平成7年 7月 香川県立がん検診センターが関連病院に加わる
11月 青野教授が德島大学医学部附属病院長に就任
平成8年 2月 四国母性衛生学会主催
「更年期外来診療プラクティス」医学書院より発行
11月 「PCO症候群の診断と治療」永井書店より発行
第41回日本不妊学会開催
平成9年 1月 青野敏博教授就任10周年祝賀会
平成10年 9月 卵巣癌化学療法講演会
10月 德島大学医学部附属病院新病棟竣工記念式典・祝賀会
11月 德島大学産科婦人科外来に乳腺外来オープン
平成11年 4月 青野敏博教授学長補佐任命式
5月 青野敏博教授德島新聞賞(科学賞)受
平成12年 4月 第52回日本産科婦人科学会総会主催
5月 青野教授日本学術会議会員に選出
平成13年 3月 青野教授最終講義
青野教授退官記念パーティー
青野教授退官記念祝賀会

第8代苛原稔教授(平成13年7月〜平成31年3月)は、18年間で66名の入局員を迎え、全国的に産婦人科医師減少の中多くの産婦人科医を輩出しました。各専門分野のスペシャリストを育成し、全国でもトップレベルの教室に育て上げられました。苛原教授は、徳島大学病院病院長、医学部長を歴任され、さらに日本モンゴル教育病院開設にも尽力をされました。また、日本産科婦人科学会倫理委員長として、NIPTや着床前診断など新たな医療技術の革新によってもたらされた様々な倫理的社会的問題に取り組んでこられました。

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苛原教授時代

平成13年 6月 苛原稔先生、教授会にて産婦人科教授に選出
7月 苛原稔先生、産科婦人科学教授発令
8月 会開催
9月 苛原稔教授就任祝賀会
10月 德島大学医学部保健学科設置記念式典
苛原教授、周産母子センター長に就任
平成14年 3月 第1回女性の加齢と健康医学研究会
4月 山野修司先生德島大学医学部保健学科教授就任祝賀会
11月 德島大学長選挙にて青野敏博先生が選出される
平成15年 1月 青野敏博先生学長就任祝賀会
3月 国立大学法人化説明会(青野学長)
6月 平成15年度日本学術会議夏季公開シンポジウム「德島」
7月 第36回四国連合地方部会開催
10月 第9回四国産婦人科内視鏡手術研究会開催
平成16年 1月 産科婦人科学教室開講60周年記念祝賀会
9月 第57回日本産科婦人科学会中国四国合同地方部会主催
平成17年 2月 德島大学病院総合周産期母子医療センター開設式並びに記念講演会
11月 青野敏博先生、德島大学長に再選される
平成18年 1月 青野敏博先生学長再選祝賀会
8月 德島県立海部病院産婦人科に大学から派遣(1年間)
平成20年 8月 第45回日本生殖医学会中国四国学術講演会主催
9月 日本産科婦人科乳癌検診学会開催
平成21年 10月 体外受精25周年記念講演会
平成22年 3月 青野敏博学長退官記念祝賀会
4月 苛原教授 徳島大学病院長に就任
7月 安井敏之先生 德島大学保健学科教授就任祝賀会
8月 第2回(日本初開催)日韓ARTカンファレンス主催
9月 日本内分泌学会四国部会主催
古本博孝先生 地域産婦人科学講座教授就任祝賀会
11月 第55回日本生殖医学会総会主催(徳島市)
平成23年 1月 苛原教授就任10周年祝賀会
9月 第64回中国四国産科婦人科学会主催
10月 第17回四国産婦人科内視鏡手術研究会主催
11月 第26回日本女性医学学会主催
平成24年 2月 青野先生、叙勲記念祝賀会
5月 第17回生殖医学フォーラム主催(琴平市)
11月 国際キスペプチン会議共催(東京)
平成25年 1月 産科婦人科学教室開講70周年記念講演ならびに祝賀会開催
4月 苛原稔教授、徳島大学医学部長に就任す
平成26年 5月 苛原教授還暦祝賀会
平成27年 2月 第8回日本性差医学・医療学会学術集会主催
4月 IFFS/JSRM International Meeting 2015主催
10月 四国産婦人科内視鏡手術研究会主催
平成29年 3月 日本生殖再生医療学会主催
11月 第27回日本乳癌検診学会学術総会主催
12月 第3回日本産科婦人科遺伝診療学会学術集会主催
平成31年 2月 中四国出生前医学研究会主催
3月 苛原教授退任記念祝賀会
令和2年 7月 岩佐武先生、教授会にて産科婦人科教授に選出
8月 岩佐武先生、産科婦人科学教授発令

そして、第9代目として令和2年8月に岩佐武が就任し、現在に至ります。

当教室は徳島大学内の医局の中でも設立から設置されている歴史の長い教室であり、現在まで四国の中心的な医育機関として多くの産婦人科医を輩出し、出身者は四国のみならず全国各地で先端医療や地域医療の担い手として活躍されています。また現在も含めて、徳島県や四国を中心に近畿や北海道などの多くの医療施設に医師を派遣し、地域医療にも大きな貢献をしてきました。

徳島大学産科婦人科学教室の同門会は「三知会」と称しています。これは昭和39年に足立教授が就任した折に命名されたものです。三知とは「命を知り、礼を知り、言を知る」という論語の一節からとっているそうです。三知会はこの「命」、「礼」、「言」を知る者の集まりと言う意味を持っています。現在までに物故者や退会者を含めて約400名が本会に入会しており、年次総会を毎年1月第2日曜日に開催しているほか、関連病院の展開に併せて4支部(香川支部、高知支部、愛媛支部、近畿支部)が設立され、各地でも会員の相互親睦に重要な役割を果たしております。三知会では学術講演会や懇親会、会誌・会報の発行などを通した会員の相互の親睦と研修を行っていますが、昭和63年より三知会学術奨励賞の授与を開始し、若い研究者の育成にも力を入れています。

以上のように、歴代教授は9代を数え、教室から育った同門である三知会会員は400名に近づき、改めて、開設以来の先輩方のご苦労に感謝と敬意を表するとともに、徳島大学産科婦人科学教室が歴史と伝統に培われた教室であることに誇りと自覚を持ち、これからの発展を目指したいと思います。

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